将来の自分に向けての備忘録です。
ここ数ヶ月、会社での「出来るだけ頑張る」をやめて、ほどほどまでしかやってない。
更に、退職を宣言してからは、引き継ぐ相手には気の毒だけど、決めた期日の中で出来なかったことは「あとヨロシク」…のスタンスで通してる。(ペコペコの低姿勢で(笑))
本来は責任感強いタイプなので、周囲に迷惑かけることは避けたいし、やり切らない自分は気持ち悪くて胃が痛む。
でも、こうやって過ごすとかなり違う自分になってると実感出来るんだな〜
この週末も仕事のことは一切考えずに、趣味の活動と、家族でのお出かけを、全力でやってクタクタ。
これが生きる意味だと思う。
そして、徐々に「自分が好きな自分」に戻ってる気がする。
全てにおいて前向きになれるし、新しいチャレンジをしたい気持ちが溢れてくる。
考え事をしても、少しは考えられるようになった。
周囲の大切な人にも優しい気持ちで接することができる。
そういう自分でいられるように、生き方を自ら選択していくのが求める生き方。
仕事するために生きているのではない。
それは忘れちゃいけない。
忘れて、優先順位が狂ってた数年間で体をおかしくしたのだからね。
次に行く会社での仕事は、どんな雰囲気でどんな圧がかかるのかは入ってみないと分からん。
実力をある程度期待してもらえての他業界への転職だから、惰性のような仕事の仕方では期待に応えられないのは確実。
結構気合い入れて頑張らないといけないのだろう。けど、生きる意味は絶対忘れない。
長いスパンで見て、瞬間的に仕事を頑張る期間があるのは全然良い。
自分の成長実感や達成感に繋がるのであれば、深夜まで働こうが、週末が潰れようが、アリだと思う。
超難しいパズルを解くように、難しい仕事を悩んでやり切った瞬間ってすごく好きだし、自分のレベルが一段階上がったのが分かるし、そうなるためなら時間も努力も惜しまない。
大事なのは、会社のためではなく、自分のためになっているか。
今の会社で起きてたことは、単に会社の人手不足の穴をカバーするためだけの慢性的な終わりのない高負荷。ただ、少ない人材で会社を存続させていくためだけの理不尽な高負荷。
それを責任感で乗り切ろうとしてた。そんなのはどう考えてもNG。
特に嫌だったのは、、、
昨年末に苦労して立ち上げた新製品のラインオフの日。勿論、全てが順風満帆な訳ではなく色々と解決すべき課題もあったけど、なんとか対策を講じて「引き続き要改善」レベルまで持ち込んで製品出荷にこぎつけたのに、誰も労いの言葉もなし。
むしろ、その日の夕方には要改善項目があることをあれこれ文句言われて、その解消方法を問い詰められる。
「あぁ、何のために(体壊しかけてまで)頑張ったのか、、、」って一気に冷めたのを覚えてる。
仕事の頑張りが自分のために繋がらないのであれば、必要以上に頑張る必要ない。
そんな状況なら、上手に頑張ってる感だけ出して仕事はただこなして、仕事以外の自分のためになることに時間とエネルギーを注いだ方がよっぽどよい。
とにかく、「自分が死ぬ時に後悔しない選択」を考えればそう判断するのは当然かな。
厳しい社会を生き抜いていくための意味と判断基準。
それを、今回の転職に絡む一連のことから学んだのは長い目で見れば良かったと思えるだろう。
まだまだ長い人生、忘れないようにね。