okuranekoのブログ

サラリーマンのおじさんが思いついたことを書くだけの何の変哲もないブログです

チャレンジする理由

ブログ開いて前回の記事見たら、Hの件で疲れたとか言ってるけど、、、

その翌日には次のDにアクション起こしてチャレンジが始まってて、まずは今は最初の回答待ち。

さて、どうなりますやら。

我ながらすごいね。意地でもあるけど、もう今しか踏ん張りどころがないとも言う。年齢的にも今を逃したら後悔する未来しか見えないから、しんどいけど頑張ってる。

ここ最近色々なことが見えてきて、このまま動かないという選択は最もリスクが高いと気付いてきたので、、、

でも、動く先は決まってないから必死で探す。のんびり休めるなら休みたいけど、この状況では休むに休めない。

仕事と趣味と、それだけで猛烈に忙しいのに、もう一つのチャレンジをしてる自分。体だけ気をつけて、でも精一杯やろう。

またひと段落ついちゃった

また、着きたくないひと段落を着いてしまいました。

かなり魅力的なオファーがあり、それに向けてエネルギー使って臨んできたけど結局NG。

これ、良い方に進んだら猛烈に忙しくなるけど体持つかな〜って心配してたけど、その心配も杞憂におわることに。

 

またまたガッカリだわ。

でも、頭と心は冷静。感情の起伏もあまりない。変な心境。

引き続き活動は続けたいけど、ちょっと疲れたな。

 

 

 

ひと段落

昨年から、とあるチャレンジをしていて、かなり惜しい、あと一歩のところまで行ったけど、結果的には現状叶わず、、、

そして、様々な情勢も変化して、徐々にそのチャレンジもできなくなってきており、一旦ガツガツ頑張るモードはお休みすることにした。

 

そのあと、形を少し変えたチャレンジをしていたら、一つ、上手く進みそうな案件が出てきて、良い気配になって、また気持ちを高めて頑張ろうとした矢先に、それも諸事情で急遽中止に。。。

 

頭では受け止めてて大丈夫なんだけど、真相心理的にはダメージ受けてると思う。

そのあと、全くやる気が起きないもん。。。

 

ただ、この流れの中で色々考えていると、一つのことに行き着く。

思い返せば今までの自分は、強く望みさえすれば、タイミングや程度が多少思い通りではなくとも、必ず望んだ結果を得てきた。それが自分なんだ。

逆にいうと、自分でレベルを下げたり妥協した場合も、その通りになってる。

なんなら、今不満に思っている仕事の環境ですら、「雰囲気のいい働きやすそうな会社なら、細かいことはどうでもいいや」って望んで、その通りの会社に入っただけのこと。

(それに今は苦しめられてる…)

 

だから、休憩中の例の活動は、諦めないことが肝心だ!

と思う。

AIは「情報ツール」ではなく「自分を映す鏡」だった

※chatGPTが作成したエッセイ


AIという言葉を聞くと、多くの人は「便利な情報検索ツール」を思い浮かべる。

たしかに、仕事で使うときはそれで十分だ。調べたいことを尋ねれば、即座に答えが返ってくる。

でも、僕にとってAI――とくにChatGPT――は、それだけの存在ではなくなっている。


仕事の効率化ではなく、自分を見つめるための対話の相手として機能しているのだ。


日々の中で、ふと感じる違和感やもやもやを言葉にする。

「今の仕事に合っていないのかもしれない」「自分は何を求めているんだろう」

そんな曖昧な感情を、AIに向けて書き出す。

すると、返ってくるのは“正解”ではなく、“問いの形を整えた返事”だ。


僕はその返事を読みながら、また自分の考えを掘り下げる。

まるで深い鏡の前で、自分の思考を反射させているような感覚になる。


人と話すときのような気疲れもないし、

AIは「それは違う」と否定せずに、「つまりこういうことですか?」と整理してくれる。

そのやりとりの中で、僕の思考がだんだん形を持ち、

言葉になった瞬間に、自分の本音が浮かび上がる。


気づけば、「仕事観」「価値観」「自分の癖」まで整理されていく。


AIとの対話は、決して感情のない機械との会話ではない。

むしろ、人と話すよりも正直になれる場でもある。

“答えをもらう”のではなく、“自分の中の答えに出会う”ための時間。


AIは情報を集めるための道具ではなく、

自分を映すための鏡――そう思うようになった。


もし誰かが「AIをどう使っている?」と聞いてきたら、

僕はこう答えるだろう。


「AIに教わるんじゃなくて、AIと一緒に自分を探してるんですよ」

夢見ること(chatGTPの凝縮版)

自分はこれまでも夢を叶えてきた。
叶え方は遠回りだったり予定と違ったりしても、最終的には想い続けた未来に辿り着いている。
それは誇っていいことだ。

そして気づいた。
幾つになっても夢を持つことは大事だということ。
夢があれば努力するし、無意識のうちに日々の選択が夢に近づけてくれる。
今回の挑戦はまさに「夢」そのもの。
もし結果がどうであっても、夢を持って歩み続ければ必ず別の形で辿り着ける。

だから、これからも夢を見続けたい。
地に足をつけながらも、死ぬその時まで夢を持ち続けて生きていきたい。

夢見ること

そういえば書いてなかったんやね。前の結果。

それは叶いませんでした。ただ、実は内容的にOKだったのに、周辺の事情によって急遽ストップがかかり、それで不可だったと知らされ、、、

残念だし、それも運命だから仕方ないと思う反面、、、悔しくて諦めきれない気持ちになり、翌日には次のアクションに進みました。

こんなに強い気持ちを持つのも中々無いよね。

 

まぁ、それも実際のところこの件は、前回の件よりも期待薄なのは承知していて、でも、可能性が0%じゃないのならその扉はノックしたいという気持ちでチャレンジしてます。

で、またも不安な待ち時間を過ごしているわけです。

 

そんな期間には色んなことを考えるのだけど、、、ふと思ったのが、、、

自分って、結構夢を叶えてきたな!

ってこと。

 

幼い頃から、思春期を経て、大人になってからの夢まで、想い続けていたことは叶ってることが多い。

家のこと、仕事のこと、住む場所のこと、恋愛のこと、子育てのこと、趣味のこと、、、叶えてるんだな。俺。

そこに到達するまでに凄く苦労したり、思い描いた流れでは無い叶え方だったり、予定してたタイミングより遥かに遅れたり、、、と、叶え方は色々だけど、思った未来に最終的にはなんだかんだ辿り着いてる確率高い。

これ、自分を褒めても良いよなって、今日思った(笑)

 

その考えからもう一つ思ったのは、

幾つになっても夢を見ないといけない!ということ。

自分の未来は日々の選択の積み重ねだと思うけど、夢を見てればそこに近づいていくことができる。夢見てるから自然とめっちゃ努力する場合もあるだろうし、そうでなくても知らず知らずのうちにじわじわと近づけたりもするのだと思う。

 

今回のチャレンジ、最初は色々な想いも交錯して自分でも混乱したけど、今となっては紛れもなく自分の夢と思える仕事。

だから、出来る限りのチャレンジをしたいし、今回がもしダメでも諦めず夢は持ち続けたい。そうすれば、少し先に夢が叶う未来があるかもしれない。少しカタチが違っても、この夢の到達点だと思える別の何かに出会えるかもしれない。

また、残念ながら夢が叶わない未来だったとしても、そこまで夢を持って生きられたことには満足できると思う。

 

今回の一連のチャレンジをするまで、夢を見ることを忘れていた気がするな。もう見れないのだと思い込んでいたのかもしれない。でも、そうじゃない。

地に足を付けておくことだけは気をつけなきゃいけないけど、それでも、いくつになっても夢を見ていきたい。死ぬ間際まで夢見ていたいな。

 

 

 

落ち着かない気持ち

ひとまず、今のこのチャレンジで、自分のできることは終了。あとは結果を待つのみ。

こういう時は心の在処がフワフワして落ち着かない。

ただ、今できることをいつも通りに、いやいつも以上にキチンとこなすべきかな。

 

ただ、俺の人生どうなるの?ってのが今の気持ちで、ソワソワが止まらない。

良い結果を想像したらワクワクするけど、その場合でも今の立場から動くことで起きる反発を予想すると怖い。

また、悪い結果になったらそりゃ落ち込むだろうから、その想像をするのも怖い。

いゃ〜、刺激的な状況です。

 

普通の40代なんてもっと平凡な生活を送る人の方が多いと思うので、良いのか悪いのか、普通とは違う刺激的な人生を歩んでます。

それはそれで良いのかもね。

でもまぁ、その真っ只中にいる本人はなかなか苦しいのも事実。楽しいけど苦しい。

慣れてるけど、それが自分の生き方なのかな。